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2020年9月1日更新

親の家の片付け

         


上半身
 

義母が老人ホームに入り、元の家を片付け始めた。少しずつ片付けて半年以上かかり、だいたい作業を終了した。90才の母 本人も80才の頃から「片付けていた」が、むしろ増えているように見えた。物の取捨選択の判断が出来るのは70代までだ、と聞いたことがある。書類を見ても内容が十分には理解できないようで、捨てるのが怖くなる。本来必要なものも捨てていないはずだが、あまりの量の多さに、いざという時には探し当てられない。仕方なく再発行の手続きをすることもしばしば。だから母はいつも、物を探していた。

床に物が散在しているので、車いすの私には、“またぐ”と言う離れ業は出来ず、茨の道だった。

「私が片付けましょう、お母さんは要る、要らないだけを言ってくれたらいい」と言っても絶対に首を縦には振らなかった。誰に対しても同じ。

大事なものを捨てられるようで不安なのだ。私を信用していないというよりも、過去との決別が出来ないということだろう。年を取るということはそういうことなのかもしれない。

「コレ要る?」と尋ねると「その内に使うこともある」と言うが、90の母のその内は、来世か?そのくらい長生きする意欲があるのなら、それもヨシ。こういう時に、昔の母は冗談もポンポン出てきたものだ。「120まで生きるから使うわよ」くらい返してきたが、今は残念ながら無理だ。家を片付けていると色々な気づきがある。それはまたの機会に書くとして。

母のベッドの横に猫の巨大なゲージがあった。狭いところに入れるのが不憫だからと、高さ150センチでベッドの大きさほどだった。猫はたった1匹だ。野趣溢れる猫は、私にはとても怖かった。机や流し、どこにでも自由に動いていた。なんとなく視線を感じたら、斜め上のタンスから、こちらの様子をうかがっていたり。母の家はサファリパークのようだった。その後、猫はねこ医者の子になり、今も元気だ。「猫にはもう会わないの、お互いに切ないから」と、母は涙ぐみながら猫の写真を眺めている。父の仏壇のことはひと言も言わない。私も余計なことは言わない。

 

 

                                                             

“おしゃべり’も更新しました。”

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