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2019年2月1日更新

「親をにらむと鰈になる」


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先日、義母となかなか話しが噛みあわず、私がキッ!と強い目をしていたのだろう。

「にらんだね」と母に切り返され、ウッ!私は言葉に詰まりたじろいた。

母は弱いながらも時々返してくる強さもあるので、これには助かる。圧倒的に強い私は、そうでないと自分が嫌になってしまう。

母はとても優しい性格で、誰に対しても親切だ。母を悪く思う人は、まずいないだろう。

お嬢さんがそのままおかあさんになり、おばあさんになった、そんな人だ。無垢な子供のまま、おばあさんになったので、誰かと言い争うことなど有り得ない。その土俵に上がる発想すらない。怒っている人の横でお手玉しているような人だ。もっとも、弱すぎてケンカ相手にはならない。大きな嫁に食い殺されるひ弱な義母。まるで熊がウサギをいたぶっているようだ。誰が見ても、弱い者いじめをしているのは嫁だろうと思うに違いない。自分でそう思うのだから確かだ。

陽気で楽観的だった母ですら、老人性鬱になるもので、悲観的なことばかりを口走る。その原因はおおいに私に有ると思うが。認知症は無く、物忘れと物分りが悪くなってきた。だからこそ弱い方に寄り添うべきだと思うが、心は理屈通りにはいかない現実がある。もっと母に優しく接しようと思う反面、後悔してもいいから変えられない自分とのせめぎ合いだ。

義母と嫁の関係でありながら実の親子のようだと皆が言う。そう勘違いしている人も多い。

実際にそれに近い関係かもしれない。そのせいもあるのか、最近、少し子供のようになってきた母を私は受け入れられない。「子供に戻ったような感じがするときがある」私が指摘すると「そうかもしれない」と、少し嬉しそうな顔をしながら、それに甘んじる気配があった。それはダメだ。

「私は、お母さんが子供になるのは嫌だ。ずっとお母さんでいて欲しい」と言うと、一瞬目が大きくなった。ひと呼吸あった後、小さな声で「ありがとう」と言った。

少し凛としたみたいに思えたのは気のせいだろうか。

「ねぇお母さん、私の顔、鰈に似てる?」と尋ねたら、「ぜ~んぜん。」よかった。

 

               

                                                             ‘2月のおしゃべり’も更新しました。

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