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2021年6月1日更新 

判断力がしっかりしている内に片付けよう!

         



バービー1
 
義母が老人ホームに入り一年半が経過しました。元の家の片づけを一年以上かけて、ようやく終えました。

車いす使用ではなかった家を車いすユーザーが片付けるという困難さ。段に引っかかるわ、手の甲は打つわ、激しさいっぱい。もちろん助っ人も必要でした。敷居を乗り越えるのも、ひと苦労ですが、その敷居を何度も往復します。手始めに、散乱した床の物の取捨選択です。取捨の「取」は1%もない!

なぜ床に物が置いてあるのだろうか?の疑問の答えが後に分かりました。

それはタンス、押し入れの整理に入った時でした。ある引き出しから、きれいなレースの下着が出てきました。おそらく50代?の頃のものでしょう。次の引き出しにも、時代を感じる服が収まっている。別のタンスには、60代の頃のものらしき服やスカーフ等。その次のタンスは70代?こうやってタンスは、その時代を遺産化したまま、静かに眠り続けていました。

そして母90歳!無事、自宅暮らしを継続していました。いよいよ80代あたりから入れるスペースが無くなってきました。タンスの中、吊っている洋服の下に、さらに服を突っ込む、そこも飽和状態になり、とうとう鴨居に吊る、床に積み重ね始める、という進行状況だったのです。

 ここで疑問が出てくることでしょう。

「ならば、その時点で片付ければいいのでは?本人がきついならば、手伝ってあげればいいのでは、」ということ。当然、何度も説得にかかりました。

私が勝手に片付けるのではなく、母に尋ねながら「要る。要らない」を答えてくれれば良い、と言っても、絶対にさせてくれない。理由を本人は言わないが、実は自分が取捨選択の判断が出来なくなっていること。つまり聞かれても分からないし、追い立てられるような気になり、どんどん捨てられてしまうのではないか、という恐れです。

 母には一匹の猫がいて、部屋中を駆けずり周り、布団や押し入れに入っていく。その毛だらけの部屋でも母は元気に90を迎えていたのです!たくましい。

もっとも、本人がそれで良いと納得している部屋を「きれいにするべき」と言うのは、余計なお世話だ、ということも一理あります。散らかっていたって誰にも迷惑をかけていないのだから放っておいてほしい、ということも理解できます。「そもそも汚いなどと言われたくもない、自分の住んでいるところを、」という気持ちでしょう。ごもっとも!です。

 片づけてみて分かったことは、必要なものは5%ほどしかなかったということ。つまり、必要なものだけで暮らしていたら、部屋は常にすっきりしていて、探し物もしないで済みます。今回は、物に隠れて見落としていた雨漏りも見つかりました。

家の片づけ、その取捨選択の判断能力も含めると、私たちは先延ばしにはしないほうがいい。

金融機関でも60歳を超えると運用の分かりにくいものを勧めてはいけないというところも有ります。つまり理解力は残念ながら衰えていくということを自覚して、快適に過ごせる準備を粛々と進めていきましょう。

 

 

                                                             

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