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2020年7月1日更新

有限な時を過ごすということ。

          Oriijin(ダイヤモンド社)春号、「こころ伝える人」に登場しています。


上半身
 

以前は頻繁に会っていた友人が、ある日事故で亡くなった。彼女が直前に食べていた料理の写真がFacebookにアップされていたものを見た。胸が痛む。嬉しそうなコメントの内容に、まさか本人が、その直ぐ後に亡くなるとは思っていなかったはずだ。

突然、人生は閉じるのだ。

自分を顧みて思うことは、私は時間をおろそかにしているな、ということ。時間は、すなわち命なのだとわかっているようで、実は有限だと思う自覚がなかった。友人の死に改めて気づかされた。

若い時はいつまでも、この命が続くのだと錯覚していた。だから本意でない誘いを引き受けて時間を消費した。これも自分で決断したこと。一年後に死ぬと分かっていたら受けなかったはずだ。本当は命が長くても短くても同じはずなのに。

時間を効率良く使うというのとも違う。ただ効率を目指すと殺伐とした生活になる。一番の効率はいなくなることだから。他人から見て無駄に思える時間の過ごし方でも、本人にとっては時間の観念がなくなるくらい、かけがえのない凝縮したものなら僥倖だ。自分に甘んじることや妥協をしない。

主体的に“本人を”生きるということ。納得できる人生を実践したいものだ。友人はどうだったのだろうか。それは本人にしか分からない。

 

 

 

 

                                                             

“7月のおしゃべり’も更新しました。”

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