ホーム

 

2018年12月3日更新

「ひとりでの行動と自信の相関関係について」


hyoushi4gatu

 

 

義母の足が弱り、独りでの行動範囲はとても小さなものになりました。それでも独自の小宇宙をもっているものだと思いました。家から、ほんの少し100mくらい行ったところに小さな素敵なデリカテッセンの店があります。私は一度も覗いたことがない店です。

ある時、母がその店の前で まさに入ろうとしている時でした。店の中から母の親しい店員さんが出てきて、微笑みながら母の両手をとって中に迎い入れていました。温かな雰囲気が何とも言えず、その母に気づかれてはいけないような気がしました。本当に嬉しそうにしている母の その世界に私が踏み込むものではないような感覚になりました。どんどん歩けなくなってきていますが、そんな中でも自分の宇宙を創るものなのでしょう。

高齢者の行動範囲が狭まってくる例は一般的ですが、高齢ではなく障害のある人で、狭い行動範囲から広げていくことにより 自信をつけていくということもあります。私が車いす生活になった時のこと。

まだ家が出来ていなくて古い家には段があり、ひとりでは外に出られませんでした。いつも家の窓から外を眺めていました。たったガラス一枚しかないのに、それはとても遠い世界に見えました。自力で外に出られるけれど自分の意志で出ないのと、出られないから出ない のとでは大違いです。

当たり前に出られる人には想像つかないかもしれません。

そしてまた、自動車を運転できるようになった時もそうです。人がいなくても自力で車いすを積んで出かけられるようになったことは、私に大きな自信をくれました。どれほど気持ちが解放されたことでしょうか。人に乗せてもらうしかない時は、用が無いと出られないような圧迫感がありました。しかし用が無くとも誰にも気兼ねなく自分の意志で出られるのですよ!これは大違いです。

車いすユーザーの友人のことです。自分で漕ぐタイプの車いすから簡易電動車いすに乗るようになり、おおいに自信をつけた人が数人います。手と腕にも障害があり、押してもらわずに独りで漕ぐのは、かなり辛そうで距離もそう遠くにはいけないでしょう。アップダウンの道や段差を乗り越える腕の力も十分とは言えず、独り行動は腰が引ける思いであったようです。助けてもらうことはとても有難いことです。でも遠慮や気兼ねは有るものです。電動を手に入れてからは、一人で電車や飛行機に乗ってどこまででも行く!ことに躊躇しなくなりました。反面、独り行動というのは同時に面倒も引き受けることになります。行動には責任が伴うということです。それを独りで引き受けます。稀に心無い態度や言葉も受けることもありますし、電車の遅れや有事の際のモロモロも代わって誰も対処してくれません。そのような判断や責任も伴いますが、それを凌駕するほどの気持ちの解放を得られます。

義母のような狭い範囲であっても、また車いすで行動範囲を広げていく友人たちにしても、自分の意思で独り行動することは、本人の自信と相関関係にあるのだと改めて思いました。

お読みくださり有難うございました。来年も引き続き宜しくお願いします。

年末に向けての慌ただしさ、体調を崩さずに良いお年をお迎えください

 

 

                ‘12月のおしゃべり’も更新しました。

➤ 前回のエッセイを読む


 


▲ ページの上に戻る