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2022年7月1日更新 

~時代によって変わる常識・非常識~ 

       


顔写真1

 今だと考えられない非常識なことが、以前は普通のこととして世の中に認知されていました。その逆しかり。

例えば、新幹線には禁煙車両、喫煙車両が有りました。(2007年に全てが禁煙になったと思います。)その頃の東海道新幹線では16両編成の中の1車両のみに、一席だけ!車いす対応席(車いすのままでいるか、その横の席に移る)が有りました。

たった一席しかない車いす席は、なんと喫煙車両の中でした。選択の余地なく、もれなくソコ!に行っていました。もちろん嬉しくないですが、仕方ないのだ、あるだけ有り難いとさえ思っていました。提供する側、される側や世の中的にも、そんなものでしょう、という空気でした。

今なら、非常識を通り越して人権の問題だ、と騒ぐ人もいるでしょう。こういう例はいっぱいあります。その過去を責めることは簡単ですが、その時その時代にあった普通を、みな淡々と受け入れていました。終わったことは鷹揚にとらえたい。常識は変化するものだと。

別の例、少なくなったけれど今でも希にいる美しい所作をする人のことです。行きつけの美容室の担当男性は、いつも私が見えなくなる道の角を曲がるまで見送ってくれます。

ちょっとこそばゆい気持ちですが、日本独特の優しさを感じる瞬間です。今日の良き時間を共にした感謝と、どうぞ気をつけてお帰りください、という思いが含まれているのでしょう。もう一人、同じことをしてくれる友人(女性)がいます。別れ際、彼女が先に電車からホームへ降り立ったあと、動く電車の中の私が見えなくなるまで見送ってくれます。

親からの躾が習慣になっているのでしょうが、こういう日本ならではの場面は減りつつあります。

昭和やなぁ~と思いますか。いえいえ、そういう若者も存在しているかも、です。

 

また、こういう例があります。以前、私はやっていましたが、今もやっている人はいるのでしょうか。

電話をこちらから先には切らないとか、お客様が私の家を去ったあと、直ぐに鍵を掛けるのは失礼だから、しばらくしてから鍵をかける、といったことを実践していました。日本ならではの余韻だと思いますが、今なら、どちらも一笑に付されるでしょう。

つまり過去の常識が変わるように、今の常識も将来、どう変化しているのか分からないということです。だから、非常識だと憤慨することや、常識を振りかざす態度もみっともないのではないかという気がしてきます。住んでいる地域、さらに国によっても違うでしょうし。郷には入れば郷に従いつつも、常識と違っていても自分のこだわりを追求してみたい。

何でも迎合するのではなく、周りをキョロキョロ見ながらも、自分の頭で考えたい。

 

 

 

 

イージースタンド←いつまでも同じ写真です。いい加減変えたい、なかなか写真を撮りません。

先日、主治医に尋ねました。立って足に過重するで、骨は丈夫になるのか、という質問に、「分からない」(セキソンの場合が分からないという意味)らしい。若い頃(10代まで。一般の人ね)に人並み以上に足を使った人で、その後70代になって骨粗鬆症になった人は”一人もいない”というデータが有るそう。大がかりな調査です。つまり年を取ってから鍛えても(しかも大した鍛え方でもない)効果があるかはわからないということです。

暑いですね。皆様、体調に気をつけてください。

先日、記念コインや使わなくなった貴金属を売りに行きました。一人です。どこがいいのかネットで調べて大手に行きましたが、得をしたのか損したのか分かりませんが面白かった。また、別のところに行くつもり。

 

 

                                                          

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