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2019年4月1日更新

「74年前に在ったこと。」


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曇天の空から薄い陽が射す3月10日(*)狛江駅北口交通広場では、サックスが軽快にジャズを奏でていた。日曜の正午、休日をゆったりと演奏を聞き入る人たちや、足早に過ぎる家族連れなど、それぞれの生活スタイルがある。同じ北口にあるメビウス∞えきまえ広場では、「パラスポーツ体験イベント」をやっていた。年間通して音楽やイベントをやっている、人の賑わうこれらの広場は、市のランドマークになっている。

その場所にかつて狛江国民学校があった。昭和20年5月25日に空襲で焼けたことは、今の賑わいの下では想像つきにくい。この日、狛江市平和祈念事業講演会にゲストスピーカーとして呼ばれた。

日頃、私は平和を意識して暮らしてなどいない。意識しないことが平和なのだろうと思う。

当日、私は運転をして狛江にやってきた。到着するまでに「信号は機能しているだろうか」とか「暴動に合わないだろうか」などと思わないし、もちろん順調に到着した。これが終わり無事に家に戻った。寝る際に「明日は生きているだろうか」などと考えずに布団に入る。これら全てが平和の上に成り立っている。さらに言うと、障害者がスポーツをすることを許容される世の中がある。頑張ることを阻害されない国がある。これが今の日本だ。それだけ成熟した国だと言える。また、障害者スポーツにとって東京2020年は追い風であるが、それがゴールではなく、通過点としてさらに発展した国になって欲しい。

私のようなセキヅイ損傷、特に首の怪我の者は長生きできないと言われていた。今、生きている人が寿命を伸ばしている状態だ。治りはしないが薬も良くなり死ななくなってきた。これもこの日本においてであって、この怪我で助かる国は世界でも数えるくらいだ。これも平和あってのこと。この有難さを思うと無為に過ごすことなど出来ない。どこで事故に遭うか、どこで生まれるか、どの時代に生まれるかによって、同じ怪我でも全く違ってくるわけだ。ならば生かされた命を、次に障害を持つ人たちへ道を切り拓くために活かしたいものだ。精一杯生きることを課せられたと自覚したい。

寒い冬から待ち望んでいた春が、もうすぐそこの3月10日。一日いちにち日差しが強くなってきている。足早に道行く人が軽やかに見えるのは、私が春を待ち遠しいからか。そんな喧騒の狛江駅前で74年前に遭った、全く違った春がそこに在ったのだ。

*1945年3月10日、東京でアメリカ軍による爆撃で死者が10万人という第二次大戦で最大の被害があった。東京都平和の日として条例で制定されている。

 

 

               

                                                             

“4月のおしゃべり’も更新しました。”

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