~ 前回のエッセイ ~


2021/10月~進化しています、駅


  

車いすユーザーにとって、最近の公共交通機関は使い勝手が良くなってきました。

それでも一般の人がある日突然、車いすユーザーになったならば、「なんて不便なのだろう」と思うことでしょう。しかし、かなり一般の便利さに近づいてきました。

例えば、来た電車に直ぐに乗せてもらえる時とそうでない時があり、時間が読めないことがあります。

相手←駅の事情次第で、自分ではどうすることもできません。だから車いすユーザーは一般の人が思う所要時間よりも多めに見て家を出ます。もっと前はあらかじめ駅に連絡することが必須でしたから。

 以前にも増して、鉄道側も障害のある者への配慮をしてくださるようになってきました。

例として。JRの駅ではホームでマイクを使って、乗る電車の車掌さんへ、車椅子ユーザーがどこで下りるのかを知らせます。これは、車掌さんに降りる駅での注意を促す、という意味です。大事な安全のための行為ですが、アナウンスは、ホーム中の人に聞こえるわけで、それを嫌がるユーザーもいます。それを当然のこととして我慢を強いられるのではなく、アナウンスの有無をユーザー本人に尋ねてくれます。

私は気にしませんが、「もし、アナウンスが嫌だと言うと、どうするのですか?」と尋ねたら、なんと!駅員さんが指令に電話をして、その指令が電車の車掌さんに電話するとのこと。ひゃ~、そんな面倒なことをしてくれるのか・・・頭が下がります。

 いろんなところが改善され丁寧になってきています。

とてもありがたい限りですが、これらが標準ではなかった経験を長くしていた者としては、隔世の差です。人間は習慣の動物だな、とつくづく思います。サービスの良さにも慣れてくるもので、鉄道、バスのUDが全体にボトムアップしてくると、その中でも、さらに上のサービスの会社(割合早くの電車に乗せてくれる、長く待たされない)が“自分の中の標準”のような気になり、そうでないところを不満な気になったりします。

 9年前のエピソード。JRではなく地下鉄のある駅でのこと。上り線にはエレベーターがあり、下りには無い駅でした。行きはエレベーターを使いました。帰りも有るものだと思っていたら、無いと言われ、「さて、どうしようか」と悩みました。なんと駅員さんは「隣の駅にはエレベーターがあるので、そこまで漕いで行ってください」と言う。

えぇ~~。ほんまかいな?でした。

「では、上り線(エレベーターがあるので)で、電車に乗って、下り線にエレベーターがある駅まで行く、そこから引き返すというのでは、いかがですか」と提案すると、そんなことはできない、と却下されました。乗せてくれないなら漕ぐしかないわけで、頑張りましたが、みんな漕げる人ばかりではない。お年寄り同士なら、ひと駅分も車いすを押すのもキツイだろうな、と想像しました。幸いに雨でなくて助かりました。こんなことをいつも出来る自信はありません。

これが会社の方針なのか、個人の見解を押し付けたのかは分かりません。その後、クレームを付けることもしませんでした。あの時代、このくらいは普通かな、という認識でした。

だから、今の親切な対応には、つくづく良くなったなぁ、と感じます。

 さて、今、山手線の6号車のホームは電車の床の面とほぼ同じ高さにしています。そして隙間も狭くしていて、前輪が正しく前を向いていれば、隙間に嵌まることは無い、と思われます。通常のホームでは、高い段差と、大きな隙間のために、駅員さんがスロープを用意してくれます。利用者が多い時には、その人材確保のために、かなり待ちます。それを解消すべく、そして介助の駅員さんを煩わせなくとも、自力で乗り降りすることができるように、とハード面の改良を施されました。まだすべての山手線の駅がそうなっているわけではないですが、画期的な試みです。地下鉄は、早くから、そうなっているところもあり、その後、さらに改良される駅が増えてきました。

JRは色んなタイプの電車が通るので難しいでしょうが、地下鉄は、同じタイプの電車が走るので、比較的、ホームとの面を合わせるのは容易なのかもしれません。

ずいぶん昔からそうなっていた地下鉄大江戸線。知り合いの車いすユーザーの男性は、自分の部屋を選ぶのに、大江戸線沿線で探していました。一般の人が自分の好きな時に電車に乗れるように、車いすユーザーも、自力でそれが出来たら、とても気が楽ですね。

 以前は車いすユーザーが自動車の運転をすることは必須でした。足のみならず手が不自由な者でも、頑張って運転をしていました。もし運転が出来ないくらい重度な車いすユーザーであったなら、暗たんたる思いになったものでした。それは、就職を含め、日常生活の多くを諦めるという意味でもあったからです。今や公共交通機関のみで移動している人も数多く現れました。そういう時代になりました。

 

 

 

 

 

 

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