~ 前回のエッセイ ~


「言葉は発した本人に蓄積する」


 

極端に耳の遠い母に大声で3回話しを繰り返したあと、聞き返されると、つい短い単語だけを言うようになり、言葉まで乱暴になってくる自分がいる。さらに悪態つきたくなる衝動を抑えきれず、「どうせ聞こえないからいいわ」と汚い言葉で罵ってしまうことがある。実は危険だ。

 それは相手に対しての礼儀という意味ではなく自分の心が荒れてくる。

 些細な片言隻句でも、それは話したと同時に、自分の内部に残る。

 これはネットの書き込みも同じだろう。会社員の友人で、とても常識のある女性がいる。ストレス解消にネットにキツイ言葉を書き込んだりするという。現実の彼女からは想像できないような言葉なのだ。テレビでも週に一つぐらいのペースでスケープゴートを探しだして「魔女狩り」ごとく、みなで興奮して引きずり下ろしている。しばらくすると、誰もそのことについて話さなくなる。ネットの内容は、さらに辛辣だ、しかも残る。「本人は人に迷惑をかけたりしていないから構わない」と言うが、その本人の心に溜まっていくはずだ。積もり積もると言葉は、その本人を変えて行く気がする。誰も自分自身から逃げることはできないのだ。

 私も愚痴を言う。遠慮なく吐き出せる相手がいるのも助かる。気持ちのデトックス効果があるのも確かだが、愚痴を言い続けているとドンドン止まらなくなり癖になってしまう。

 これは言う方も聞かされるほうも害だ。負の言葉は負を招くように、楽しい話題は福をもたらす気がする。心身のためには負の言葉はほどほどにしておいたほうがいい。救いの無い毒を吐くと当たるのだ。かなりブラックなことも言うが、そこに笑いがあるとほっとする。「オチ」は必要!?なのだ。脳科学者の林成之先生が書いていた。それを射撃の試合でも実践している。いわゆる言霊だ。悪いことを想像するとその通りの結果が出る。その逆もしかり。だから「あ、変な点が出ちゃった。今日は調子が悪いのかも」と頭をよぎると、ダメダメ。私はわざと続きを言う「・・・と思ったけれども大丈夫」と、良い方向に変更して締めくくる。

 バカバカしいと思うかもしれないが、これが案外侮れないのだ。思うことも言葉に出すことも書くことも、すべて自分の体から出たことは自分に戻ってくるということ。

 ネガティブなことばかり言う人からは離れろ、と忠告してくれた人がいた。これも確かだろう。

 私も気を付けよう。毒を吐かないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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