~ 前回のエッセイ ~


「無題」


 

義母は88歳。30キロの体重。すべてが衰えてきているのが分かる。痛い体をかばうことで、変形が進んでいる。毎日会う私の目にも、年単位の衰えだったのが月単位にすら感じられる。ケイソンで車いすの私が直接出来ることは少ない。まず、体を支えてあげられない。車の運転はできるので送り迎えは出来ても、それは母がひとりで乗り込める今だからだ。

障・障介護をいう言葉を、初めて聞いた。老々介護は知っているが。うちは障・老介護?

というほど、私は十分にはしてあげてはいないし、認知症の無い母は、私に身体的な負担をかけることを異常に固辞する。精神的に頼っていることは分かる。しかし、それすら出来ていないことを実感する。

ひとは「それだけ義理というより、もっと近い関係だからよ。」とは慰めてはくれるが、

これは、心がけ次第だと思う。人間は習慣の動物だから、聞く習慣があれば聞く、聞くと

すぐイライラすると、次からも同じタイミングで聞くことを放棄する。

怒ることも同じ。だから、その悪い習慣を切り、母の望む自分に近づけたいと切に思う。

友人が「耳を傾けられるのは、身内で8分、他人で20分」と言っていた。

つまり、私だけではないのだ、という安心感はある。でも母に残された時間や母と私の存在は、世の中で、ここにしか無いものだから、どう生きるか接するかはとても個人的なものでかけがえの無いものだ。

 

私と義母とは、いわゆる嫁姑のいざこざは皆無。それは母の性格によるものだと思う。私は怪我をして(車いす生活になって)から結婚をした。夫は一人っ子だ。その義母は結婚を応援してくれていた。その義母の様子を見た義母の友人が「息子にとって少しでも不利なことは、理屈抜きに両手を広げて阻止するものよ。それなのに、あなたは伸行さんの親なのか、ひとみさんの親なのか分からない」と言われた話しを私にしながら、ボソッとつぶやいた。「私は、すでにひとみさんの親になっていたんだと思うわ」

その頃、50代だった義母は私の車から車いすの出し入れを手伝ってくれたり、いろんな補助をしてくれていた。体が動かなくなってきてからも、車いすを出そうとする母に注意をすると寂しそうだった。それもすぐに忘れてまた車いすを出そうとする。長年の習慣からやってしまうだろう。今はしたくても、すでに出来る状態は過ぎた。

してくれた恩を返すのではない。大切な人が困っているときにどれだけ手を差し伸べることができるのか、を自問自答する。これは友人に対しても同じだ。

 

 

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