4月のおしゃべり

4月のおしゃべり写真

撮影 森田正文

「ファッションから見る障害受容」


桜を見に公園に行きました。2時間ほどの間に、車いすユーザーを10人以上見ました。駅でも、繁華街でも車いすの人に会わない日は無いというくらい、ドンドン外出するようになりました。以前のように珍しくて、じっと見られる視線も感じない、当たりまえの様子になっています。それはファッションの面でもわかります

おしゃべり相手は、中野佐世子さんです。最近、中野さん監修の教育ビデオに私も出演し、監修のお手伝いをしました。その経験の中で、「車椅子ユーザーになった、当初の頃の気持ち」など、忘れていたことがよみがえってきました。

心のバリアフリーをめざして~合理的配慮と職場のコミュニケーション~
(株)自己啓発協会 http://www.e-head.jp/
これは、「働く障害者に必要な配慮とは?職場でお互いがいい距離感でコミュニケーションを築くには?」を考えるきっかけになるような教材です。

 

私の前職がファッションに関係していたから、車いす生活になってからもおしゃれにこだわっているだろう、と思われるようですが、全く違うのよ。

 

そうなの?ひとみさんはずっとおしゃれだった印象があるし、怪我した時が22歳だから、たいていの女性はおしゃれに関心をもつお年頃と思いますが。

 

おしゃれをしたいというのは、十分に障害を受け入れている人が思うことなの。車いす生活になったばかりの頃はそれ以前の状態だったということね。つまりおしゃれをしたいという発想には至らない。少しずつ障害を受け入れてきてから、ようやく、おしゃれ心が戻ってきたかもね。

 

なるほどね。生きる気力や先が見えない状態では、おしゃれをする気持ちにはならないわけね。おしゃれは、気持ちに余裕が無いと出来ないということかしら。

 

30年前は障害者がおしゃれをするということが憚られる空気があったわ。今だと「何?それ」でしょうが。食べるための補装具の工夫やトイレ、お風呂といった、生きていくうえでの基本的なことに対しては、「こう改造してほしい」と言えます。「おしゃれをしたい」と言うことは不遜な気がして言えなかった。何を着ていても生きていけるから、です。

 

今だと考えられませんね。視覚障害者にも色とお洒落を楽しんでもらうための「いろポチ (触覚タグ)」があったり、ひとみさんが関わっているトンボの取り組みや、また少数ながら、障害者がおしゃれで着易い洋服をネットや店舗でも手の入るようになってきました。お洒落をすることが賞賛されても非難されることは無いわね。それだけ日本が成熟した国になったということかしら。でも、写真などを拝見していても私の知る限りひとみさんは若い時から綺麗にメイクをして華やかな洋服を着ていたように思いますよ。

 

退院して、すぐのころから講演依頼があり、その為にきちんとした服を着ていたので、そう思うのね。ところが、それは自分の好みではなく、人から元気に見える服、明るい色を選んでいたわ。10年くらい経った頃かしら。人から、どう見られるかではなく、自分の好みを優先するようになったのは。黒い服が好きだったのだと気づいたわ。ようやくおしゃれを心から楽しめるようになってきた、それが障害を受け入れた頃と重なるわ。人が望むワタシを生きるのではなく自分自身を生きるようになった。主体が誰であるかを自覚できたのね。そうすると、おしゃれが一番のリハビリになったわね。

 

なるほど。その意味は少し分かります。私も体調が悪い時でもメイクをしてスーツを着ると気持ちがシャキッとしてくるし、高齢者やがん患者に対してのメイクセラピーや化粧療法という言葉があるくらいですものね。おしゃれやメイクが気持ちを前向きにする力があるということですね。

 

そう、洋服は私に力をくれます。自信をくれると言っていいわね。ある意味“鎧”ね。きちっとした服に身を包み、それがお気に入りだったりすると、シャキッとした気分に盛り立ててくれるということね。形が人を作る。これは誰でも感じたことがあることよね。その意味が1つと、もう一つは、この服を着てどこに行こうかと思える意味でのリハビリね。気後れしそうな場面や場所に行くことの自分への背中を押してくれるのよ。勇気をくれるというと少しオーバーかしら。

 

ひとみさんの受傷した頃と今とでは障害受容の仕方が違うのかしら?

 

障害を受け入れられない気持ちや葛藤というものは、今も有ると思いますが、昔と今とでは、車いすユーザーになったあとのスタートラインが違うとおもうわね。

 

確かに、昔より障害に対して、世間の受け入れる気持ちや理解力は格段に良くなっていると思います。また、世界中の情報が手に入るというのは、気持ちの上での支えになることも想像できるわ。具体的にエピソードはありますか?

 

今から10年ほどまえでしたが、講演先に訪ねて来られた20代の車いす女性がいたの。初対面でしたが、彼女が「私はまだ受傷1年で、この障害を受け入れられません」と言っていたわ。そういう発言をしている女性がミニスカートで網タイツを履いていたの。ちょっとビックリ。なぜなら、麻痺している足は筋肉が萎えているので張りや色ツヤがないので、私には車いすユーザーが、ひと前で足をさらけ出すという発想自体が無いのです。彼女は、人からどう見られるかよりも自分の好みを優先させる。網タイツというのは、その色艶をカバーする彼女なりの工夫かもしれない。その姿を見た時に「あなたはかなり大丈夫よ。」と心で微笑んでいたわ。つまり、30年前の私のように、他人を生きるのではなく、自分をすでに生きているということ。これが“今”ということではないかしら。

 

そうね、障害者に対してのインフラ整備が進んでいることや雇用も良くなっています。まだ十分とは言えなくても、あらゆる人に対して、ウエルカムな社会になってきたことも後押ししているわね。

 

一般の人と全く同じ土俵に立っているかというと、それはまだまだな面は有りますが、自己実現の可能性は格段に伸びました。もちろん、そこには期待と責任がセットでプレゼントされるということね。

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